ポスター – (C) 2018 STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC.
今回は映画「ビリーブ 未来への大逆転」の感想を書いていきたいと思います。
この「ビリーブ 未来への大逆転」は2018年3月に公開された映画。
主演にフェリシティ・ジョーンズ。代表作は「インフェルノ」や「ローグ・ワン/スターウォーズ・ストーリー」など。脇を固めるのはアーミー・ハマー、ジャスティンセロー、ジャックレイナーなどなど。
アーミー・ハマーはどっかでみたなぁと思っていたら「ソーシャル・ネットワーク」や「ノクタ―ナル・アニマルズ」に出演したました。
ということで今作の主演はフェリシティ・ジョーンズという役者。「インフェルノ」ではドン教授(トム・ハンクス)の相棒である医師のシエナを演じて、「ローグ・ワン/スターウォーズ・ストーリー」では主役のジン・アーソを演じる。
とですね。
こうしてみると結構活躍されてはいるものの、私自身の感想としましてはちょっと印象薄めの役者さんだったんですよね。パッとしないといいますか。でもそんな印象も180度ひっくり返ることになりましたね。
本当に素晴らしい演技をされていました。
ということでこれより映画「ビリーブ 未来への大逆転」の感想を書いていきます。
映画「ビリーブ」未来への大逆転
無意識レベルの女性軽視怖すぎ問題。
はい、ということですね感想を書いていきたいんですが、もうこの映画良すぎて何から書いていけばいいのか自分でも分かっていません(笑)
とまぁそんなことを言っても仕方ないので。
えぇ、とりあえずストーリーから触れていきましょう。
1956~1960年代後半のアメリカが舞台。貧しいユダヤ人家系出身のルース・キンズバーグは、念願の名門ハーバード法科大学院に入学しました。旦那であるマーティンと支え合いながら、無事卒業することはできたものの、就職先は見つからず。その理由はキンズバーグが女だったから。性別のせいで就きたい職に就けないという馬鹿げたルールを変える為にある行動をとる・・・
と、簡潔にいうとこのようなストーリー。その後の展開については後で触れたいと思います。
まず思ったのはあれほどまで優秀な人でさえ、就職できないほどその頃のアメリカは女性に対する評価が低かったのかという事。
首席で卒業したのにも関わらず、いとも簡単に一蹴されてしまう。やはりそれほどまでに女性に不寛容な時代だったのだなとあのシーンを見て思わされました。
そしてその後知る衝撃の事実。女性はクレジットカード作れなかったとか、男性と同じように残業出来なかったとか。
とにかく今では考えられないくらい女性を見下している時代だったという事が分かりましたが。
劇中でも何度か男性が女性を見下している発言がありましたね。
敵サイドのミーティング時とか分かりやすかった。
「女に男と同じ仕事が出来るものか?」って。相当見下してますよね。
そんな女性軽視が当たり前に起きていた時代を想像しただけでも怖い怖い。
そしてもっと怖いのは「無意識レベルで見下している」という事なんです。
「女に男と同じ仕事が出来るものか?」といった人も多分無意識レベルで言っちゃってる。だって隣に女性である奥さんがいるのですから!
良識ある人間は自分の大事な人が傷つくような発言を故意にはしないと思うんですよね。
だから多分無意識。その女性に嫌な事されて、お返しに見下すとかそういうんじゃなくて、大前提として女性は能力低いよねという認識があって、もうそこに疑いの余地すらない状態。
いや怖すぎるでしょと。もう一種の洗脳でしょ。
そしてもっと怖いのは、その「女性は能力が低い」という事を女性達自身が受け入れてしまっているということ。これはジェーンが男たちに馬鹿にされた時のキングズバーグの発言を聞けば明らかだと思います。
「すごいわジェーン。自由で怖いもの知らず 20年前とは大違い」
この発言です。
20年前は男たちに馬鹿にされてもそれを受け入れてしまうのが普通だったという事ですよね。
例えば「女の癖に調子のりやがって、女なんだから口閉じてろよ」と言われてた女性がいたとしたら、
その女性は「そうだった、私女だから調子のっちゃいけないんだ。」
って感じに「女」だからを理由に傷つかなきゃいけない。そんな女は根本的に男より劣っているという事に対して疑問を持たない女性が沢山いたってことですよね?
そんなの可哀そうすぎし、馬鹿にしすぎじゃないかなって。
百歩譲って本当に女性が男性より能力が劣っているのが事実だったとしても、それで馬鹿にするのってなんか違くない?って思う。
だってそれって二分の一の確率で得ただけじゃん。それだけで偉いんですか?と。二分の一で男に生まれて、それがあなたの誇りなのですか?と。
収拾つかなくなりそうなのでまとめますが、そんな時代には心底吐き気がするし、そんな時代があったと考えるだけでも吐き気がするし、そういう意味では今の時代に生まれた私は恵まれてるんだなぁと思いました。
とはいえ自分で気を付けてるつもりでも・・・
吐き気がすると自分で言っておいてなんですが、私も無意識で差別的発言をしていたことをこの作品を観て思い出しました。
先日、昔の職場の後輩の女性から起業したとの報告があったんですね。
後日、その話を友人K君に話したんですが、その時私はこう言ったたんです。
「○○はね、女の割には凄く論理的で仕事も出来たんだよ」と。
これも女性軽視の発言です。ですが、これ。悪気がないんですね。
自分では差別をしているつもり一切といってないんです。むしろ、さっきの言葉はその子を褒めるつもりで言ったんです。
その歳(22歳)で起業するなんて凄いねと言う意味で使ったんですね。
ただ褒めたかったのに、気づかぬうちに差別をしてしまっている。無意識レベルで。
それを踏まえて思う事はですね。この差別問題は本当に複雑だなぁと思ったんです。自分では差別してないつもりでも、差別してしまって時がある。その時は直接本人に向かってというわけじゃない。でもこうした無意識な差別があるということはいつか誰かを傷つけてしまう可能性がある。
しかもその時は無意識だから、言ったほうもすぐ謝ることができないかもしれないし、そもそも謝る気がない。「今の発言のどこがいけないの?」と感じで、その発言が差別だってことすら気付かないかもしれない。そしてそういった「悪気がない差別」は芸能人の恋愛事情みたいに簡単に広まっていくかもしれない。
という。そしてその悪気があってもなくてもですね。そういう差別的発言をされたほうは、傷つく。それが原因で命を絶つ可能性だって十分にある。
この映画で言えば、ただ「女性」に生まれてただけなのに・・・
ということでですね。凄く複雑で根が深い問題だと思いますね。
ではどうしたらいいのか?という話ですが、やっぱり、一つ一つ考えて発言するしかないと思います。
「これは差別にはならないかな?」とか。「この発言をしたら傷つかないかな?」とか。
初対面の人なら尚更ですね。その人を知らなければ知らないほど傷つけてしまう可能性は高くなりますからね。
というようにそういう小さな努力が必要なのだと思います。
それで、そういう小さい努力をしてみて、それでもその人を傷つけるような発言をしてしまった。
それはこういっちゃなんですが、仕方ないことだと思います。人と関わる以上、絶対に傷つかないなんてありえませんから。例えが悪いかもしれませんが、交通事故と一緒だと思います。気をつけていようと起こる時は起こってしまう。いくら努力しても0になることはない。
ですのでもし目の前の人を傷つけてしまったならきちんと謝る。
謝る事が必要不可欠だと思います。
というのが私の考えなのですが、これを意識しててもうまくいかないことも多々ということを先日、身をもって痛感しましてですね、深く反省しているところであります。
差別ではないのですが、誤解から友人を怒らせてしまって・・・
今まで何度も思ってきましたが、人間関係って本当に複雑。
一筋縄ではいかないことばかり。でもそういう時こそこう考えてます。
一筋縄でいかないからいいんじゃんって。
やっぱり今こうして自分と関わってくれる人って凄く貴重な存在だと思うんですね。
SNSで簡単に「友達」が出来ちゃう社会ですから、逆にいうと友人を簡単に捨てても大丈夫。アンパンマンの顔みたいにすぐ新しいものが届くから。みたいなね。
響き悪いですが、替えの効く時代ですから。
だからこそ、関係性が長い友人は本当に貴重、大事な存在だと思いますね。
だからね、俺はこれから周りの友人を大事に、そしてハッピーにできるように努めます。
こういっても上手くいかないことだらけですけどね。だけどまずは意識から。
(自分と関わる)人をハッピーにしたい。という気持ちが初めの一歩ですからね。
ということで長くなりましたが、相手を傷つけないように意識して話すようにする。そしてそれでもだめならきちんと謝る。ということを徹底していきたいと思います。
印象的だったシーン
まず最初に印象的だったのは、キングズバーグ親子がドロシー・ケニオンに会ったあとの帰り道のシーン。
道で男らにもろ女性軽視と言える言葉を投げかけられ、ルースはジェーンに無視しなさいと。
しかしジェーンはその忠告を無視し、男らに向って暴言(ここでは書けない言葉です)を浴びせる。
それを見たルースは感動し、ジェーンを褒めるというシーンでしたが、もうとにかくウルウルきちゃいました。
女だからって何が悪いのよ?と。些細な差別も見過ごしちゃいけないんだ!ってね。
いやぁなんか瞬間的にというか涙こぼれちゃったんですよ(笑)
あとから整理すると、ルースがジェーンにすかさず駆け寄り、褒めたことに対して「こんな親子の関係いいなぁ」とか思うことあるんですが、その瞬間的には何も考えないままジーンって感じでして。
というわけで何も考えないまま泣けちゃうシーンでした。
そしてやっぱり1番印象的だったのはラスト。法廷でのキンズバーグのスピーチ。
力強い声。でも暴力的ではなくあくまでも理性的に。そしてその瞳には強い信念が宿っているように感じました。もうドンドン惹き込まれていってですね。本当に目の前にいるように感じてしまって、「はいすみません」ってなりました。(何も悪いことしてないのに笑)
あと切り替えも素晴らしかったですね。1度目のスピーチと2度目のスピーチを比べたらまるで別人。2度目のスピーチを際立たせるためあるような1度目のスピーチ。計算されつくした感じが堪りません。
ということでやっぱり最後のシーンが最高!
自分たちのことだけじゃなくて未来の子供たちのことを考えて、行動できちゃうルース・ベイダー・キンズバーグ最高だぜ!って感じでございました。
ちなみにラストシーンのあの女性、もしかしてと思って調べたら、あらまぁびっくりご本人なんですね。いやぁ思ったより小さいですねぇ。なんてことは冗談でも言えません。
彼女が自身の生涯を賭けて戦ってきたことで、今こうして女性が活躍できる社会になったんですからね。
もう神的ですよ。本当に。
「ラディカル ソーシャル チェーンジ」
「ラディカル ソーシャル チェーーンジ」
この響きが頭から離れない(笑)すごく印象的喋り方でした。
フェリシティ・ジョーンズがスゴい! これから要チェックの女優NO.1
本作の主人公であるルース・キンズバーグ演じるフェリシティ・ジョーンズの熱演。
これこそが今作1番の見どころといっても過言ではないと思います。
もう圧倒的ですよ、圧倒的。
全てがイイといってもいいくらいなんですが、それじゃ伝わらないと思うので、まずは話し方ですね。
発音の仕方一つとっても素晴らしい。強調すべきところの力の入れ具合が絶妙なんですね。
例えば、さっきも触れましたが、「ラディカル ソーシャル チェーンジ」というセリフ。
時間にすれば一瞬で過ぎてしまうあのセリフではありますが、その一瞬で彼女の演技力がいかにレベルが高いか、十分といっていいほど分かってしまう。そして鑑賞後も耳から離れない。
という一瞬のパワー。車で例えるならGT-R。GT-Rほどの瞬間的なパワーを感じましたね。
というようにですね。瞬間的な爆発力を発揮できる女優ではあるんですが、彼女の凄いところはそれだけではない。
静止した画でも自身の魅力を十二分に発揮してみせる。
というのも、物語中盤で彼女は、面接に行ったんですよね。12社に落とされて、13社目の面接に挑む。結果は惨敗で、事務所を後にし、うつむいたまま大勢の人が行き交う道に出る。
そして、ゆっくりと顔を上げてあのショットですよ。
絶望。この世の終わりという表情。
セリフ一切なし、そして動きもほぼなし、という制限が多い中、あの小さな顔面一つであそこまでの絶望感を表現してみせる。
というようにですね。
動きが多いシーンだけでなく、少ないシーンでも魅せることができる。
抜群に主人公らしさがある女優だと思いますね。
ということでですね。前々からフェリシティ・ジョーンズが出演している作品は何個か観た事があるんですが、この作品を観るまではいい印象がなかったんですね。
でもこの作品を観て思ったのは今後絶対に伸びる女優さんだなと。
と数年すれば、彼女の顔を見ない日はないだろうなと思うくらい素晴らしい演技をしていたと思います。
この映画がまさに出世作といってもいいのではないでしょうか。
おわりに
はい、ということで、物語的にも映画的にみても非常に素晴らしい映画でありました。
フェリシティ・ジョーンズ。要チェックの人物間違いなし。まだ観てないという方いましたら、ぜひぜひ観てください。
きっと一瞬でフェリシティ・ジョーンズの虜になるでしょう。
ということでこれにて映画「ビリーブ 未来への大逆転」の感想を終わりたいと思います。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。
